Manic-depressiveな日々

精神病質的な日々を送る私がつらつらと・・・

横道にそれる書籍紹介−2:零度のエクリチュール

久々の書籍紹介

今回は意識高く哲学書でも・・・

紹介するのは、ロラン・バルトの「零度のエクリチュール」です

 

零度のエクリチュール 新版

零度のエクリチュール 新版

 

作者のロラン・バルトはフランスの批評家で、この書籍がきっかけでフランス文芸界に名を轟かせている。主に記号論に関しての著作が多く、モードの体型などが有名である。 

 

1:エクリチュールとは

本を紹介する前に、エクリチュールってなんだよってところから話は始まるわけですが、簡単にいうと話し言葉(哲学用語ではパロール)に対して用いられる言葉の意味で哲学者によって異なった見解をするので定義は難しい。

バルトはエクリチュールについて「エクリチュールの機能とは、何かを伝達したり述べたりすることだけではなく言葉を超えたものー歴史と、自分の立場とをー知らせているのである。」*1と述べている。

ということは、小説などの文芸作品において書かれた文章というものは、風景などの情景を読者に伝えるものだけではなく作者自身の心情や社会的立場も映し出しているのだと考えることができる。

先に書いた石田衣良の作品

 

frutefrash.hatenablog.com

 では保守派市民団体の物語を描いている。この作品でも読者に保守派のデモ活動を想像させるだけではなく作者自身の見方なども映し出しているのではないのか?

 

2:バルトの考えるエクリチュール

バルト自身はサルトルの影響を受けていたと過去に語っている。

サルトルは文芸作品の社会参加を主張していたが、バルトは文芸作品の形式が作者の自由と責任と倫理とを示しているという。

書籍の中でもバルトは、言語・文体・エクリチュールの3つの概念を表し文芸作品を考えている。言語は、作者に共通した慣習などから構成され、文体は作者自身の過去や経験から構成されるものであるという。

ではエクリチュールとは?これは時代と社会によって制限されるものの作者自身が衣服のように選ぶことのできる表現方法や言葉づかいのことだという。

これは零度のエクリチュールの時に示したものであるが、以後バルトはこのエクリチュールについて考えつづけ、晩年は文学を生み出す原動力そのものとなっていった。

 

3:最後に

今回の紹介はよくまとまらず紹介できたかできていないかでいったらできていないだろう。しかしエクリチュールという言葉はこの本や他の書籍を読まない限り知らなかった概念であろう。エクリチュールについてはJ・デリタなどがテクストを書いているが、もともとエクリチュールについて考えたのはバルトなどである。少しでも興味を持った方がいたら本書を読んでほしい。(何回読んでもわからないところもあるが)

 

稚拙な文章で申し訳ないが、今回は終わりにする。

(批判とか来たら困る・・・仕方ないけど)

*1:pp7